こんばんは、庄田です。
 
 
今日は 『御礼』 という事に
触れてゆきます。

こちらがアップされる頃
私は大変お世話になった弁護士さんと
もう一人の方と、大いに飲み食べている頃です。
瀧野を交えて4人で。
 
 
 このお二人は、
私が前職の広域トレーニング会社を離れて、
経済的にも追い詰められていた際に、
お力を頂いた方々です。
 
当時のわたしは、
諸般の事情で経済的には
 来月はもう乗り切れないかもしれない…
なんて状況になっておりました。
 
 
 そんな折に一人の方にお力を頂き、
この弁護士さんを紹介して頂いて。
 
相談料も何もなく、報酬も完全後払いで
御相談に乗って頂き、それによって
私は今日在る事が出来ています。
 
まさしく『命の恩人』と呼べる方々です。
 
 
 そんな恩人の方々に対して
御礼をしたくても中々出来ませんでしたが
長野に帰省する度に、或いはお年始とお中元は
欠かしたことがありません。
 
もう借りる枠もほとんど無いところから
借金を重ねて、それで本当にささやかですが
御礼をお送りさせて頂きました。
 
 
 これは、もちろんお二人に
感謝をお伝えする意味もあります。
 
ただ、こういった事をするのには
もう一つの意味があるのです。
 
 
それは、
 
『自分の心に感謝を刻む』
 
ということです。
 
 
 
 御礼の品を用意する際に、
自分でその事を選択、決定します。
そして行動します。
 
 『感謝させられた』という受動ではなく
 『感謝する』という能動
 
になるのです。
 
 
なればこそ、
人はその感謝を自らの心に刻み
忘れる事無く、大切にしてゆけるのです。
 
だから、感謝は形に表すべき
と私は思います。
 
金額の多寡、量の大小などではなく。
純粋に想いを込めて。感謝を込めて。
ただ、御礼を形にする。
 
 それでこそ、
相手に伝わるのみならず、
自分自身も感謝を共に出来ます。
 
 
 
 古来より続く、
 
お中元 お歳暮
 
も本来はそんな意味のはずです。
 
 
 一年の終わりと半ばに。
日頃の感謝をきちんと形にして
相手に伝えると共に、
自分自身にもその事を忘れないように刻む。
 
なればこそ、
わたし達日本人はその事を
大切にしてきました。
 
 
 けっして
 
 『お互いに物が行き来するだけだから
  お互いの了解の下、止め合いましょう。
  面倒なだけだから』
 
なんていう話では無いのです。
 
 
 これは、目に見える物、物質のみを
捉えた現象の解釈です。
現象の上っ面を、物質のみを捉えた考えです。
 
 
その後ろにあるモノ。
本質に着目すれば、その向こう側には
人の意思があり、それが形になっている。
 
この事が理解出来ると思います。
 
 
なればこそ、
私はどんなに苦しくとも、
お金が無くても
お世話になった方々への御礼を欠かしません。
 
例え100円の物しか用意出来なくても
想いを込めて、感謝を込めて。
それをお渡しするでしょう。
 
それさえ叶わない時。
相手の方に伝える手段を持たない時。
その時は、一定の時間を
相手の方への心からの感謝で自分を満たすでしょう。
 
 
 相手の方への感謝と共に。
自分が感謝を忘れない存在で在り続けるために。
 
 
 なので、今日は
命の恩人のお二人と宴が出来て
心から楽しみ喜んでいるはずです。
 
そして、同時にお二人への感謝
今ここに自身が存在できる事への感謝を
心に確かに刻みながら。

 

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